2015年07月20日
ご先祖様 尚徳王様
『 ご先祖様 尚徳王 』
尚巴志様の孫が尚徳王様
で、尚徳王様の孫が東風平親雲上興長様
東風平親雲上興長様の玄孫が具志堅興佐様
これが具志堅家のルーツです。
昨日、 Mitsru Omineさんにご先祖様の事をやっていたら食うに困らないと言われて朝から調べていました。
尚徳王の話は有名な久高島の伝説でご存知だと想いますが、
第一尚氏最後の国王になった原因、つまり第二尚氏の始祖である金丸のクーデターにあってしまったのは、
尚徳王様が久高島に渡り、そこで外間家の美少女祝女クニチヤサに心を奪われ、寵愛のあまりに帰還を忘れ、その間に首里で金丸にクーデターを起こされたのが流れです。
しかも、面白いのが、北は日本、朝鮮、南はマラッカ、シャムと琉球王朝の大交易時代の王様だった事。
シャムは今のタイの事で私の元妻もタイ人。
まさに女性とビジネス大好き人間だったわけです(笑)
自分のルーツを調べると面白いですね(^O^)/
尚巴志様の孫が尚徳王様
で、尚徳王様の孫が東風平親雲上興長様
東風平親雲上興長様の玄孫が具志堅興佐様
これが具志堅家のルーツです。
昨日、 Mitsru Omineさんにご先祖様の事をやっていたら食うに困らないと言われて朝から調べていました。
尚徳王の話は有名な久高島の伝説でご存知だと想いますが、
第一尚氏最後の国王になった原因、つまり第二尚氏の始祖である金丸のクーデターにあってしまったのは、
尚徳王様が久高島に渡り、そこで外間家の美少女祝女クニチヤサに心を奪われ、寵愛のあまりに帰還を忘れ、その間に首里で金丸にクーデターを起こされたのが流れです。
しかも、面白いのが、北は日本、朝鮮、南はマラッカ、シャムと琉球王朝の大交易時代の王様だった事。
シャムは今のタイの事で私の元妻もタイ人。
まさに女性とビジネス大好き人間だったわけです(笑)
自分のルーツを調べると面白いですね(^O^)/
2015年05月28日
名前に興 雍性 首里侍
今回の投稿は、FBで同じ雍性の方との会話を転記致します。
雍性の歴史が少しは分かると想います。
廃藩置県以前は私達のご先祖様は首里王府に使える士族でした。
廃藩置県後に各地に散っていったのです。
具志堅興左様から始まる具志堅性はその後、山原具志堅、大宜味具志堅、など各地で子孫を残して今があります。
これは事実です。
私の祖父と同年代の具志堅均さんが家系図を作る際に全て調べ上げました。
他のとこに行った具志堅性もそうだったと想いますが、平地で土地の良いところは農民等が占めていたため、士族じゃなくなったご先祖様は、山の斜面などに暮らしてとても苦労されたと言われています。
それでも侍の誇りは捨てなかったのでしょう。
こうやって末代まで首里侍だったと語り継がれている事がそれを証明しています。
あ、私は山原具志堅なのでその話です。
Posted by 東風平親雲上 at
09:41
│Comments(0)
2015年05月20日
雍性 「興」
初めまして。
山原具志堅10代目の具志堅興司と申します。
インターネットを活用して雍性(名前に興が付く門中)同士の交流をはかり、更には雍性の誇りを持ってご先祖様を崇拝するためにこのブログを立ち上げました。
山原具志堅10代目の具志堅興司と申します。
インターネットを活用して雍性(名前に興が付く門中)同士の交流をはかり、更には雍性の誇りを持ってご先祖様を崇拝するためにこのブログを立ち上げました。